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石油産業の歴史 第1章 第1節 近代石油産業の勃興
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1. ドレーク井の成功
石油産業の始まりは、1859年に米国のペンシルベニア州タイタスビル近くのオイルクリークで、ドレーク(E.L.Drake)が油井(ゆせい)の機械掘りを行い、岩盤下の深度69.5フィートのところで30~35バレル/日の出油に成功した時点とするのが一般的である。
これに先立ち、鯨油や樹脂・獣脂から製造されたろうそくに代わる照明用燃料が探求されていたが、炭鉱に見られる浸出油、あるいは油分を多量に含む石炭の一種である軟炭、天然アスファルト等を原料とする「Coal Oil」の工業化を生み、1859年にはその製造工場が米国だけで500ヵ所にも達した。
一方、Coal Oilの原料としては原油が優れていることが次第に知られ、原油取引市場が確立していたといわれる。このような事情が、ドレークの成功を画期的なものとし、わずか2年後の1861年には、米国のCoal Oil工場は、原料を原油に切り替えるか、そうでなければつぶれてしまった、とさえいわれるほどの急速な石油産業の成立をもたらしたのである。
2. ロックフェラーの登場
1870年、ジョン・D・ロックフェラー(John D. Rockefeller)が米国オハイオ州でスタンダード石油会社(Standard Oil Company of Ohio)を創立したが、これが近代産業としての石油事業の始まりとされている。
当時の石油は、需要が灯火用のケロシン(灯油)と潤滑油とに限られていたため、現在のようなエネルギーの中心的存在というわけではなかったが、ロックフェラーは、わずか10年足らずの間に、米国全土にわたる石油市場を独占するに至った。
スタンダード石油会社は、まず輸送手段の掌握を通じて石油精製事業の集中を目指し、1872年までにオハイオ州クリーブランドの大半の製油所を合併、米国の全精製能力の4分の1を手中にした。さらに1873年には、東海岸の精製事業の中心地ニューヨークに買収の手を伸ばすとともに、南部の有力販売会社も傘下に収めて、その販売シェアを米国全体の3分の1にまで拡大した。これと並行して輸送手段の買収も精力的に続け、1876年には全国の鉄道タンク車のほとんどと、幹線パイプラインの4分の3を支配下においた。
このように拡大した事業を統御するため、1882年、有名な「スタンダード石油トラスト」が形成された。さらにロックフェラーは世界に目を向け、1890年ごろには欧州や南米の市場にも手を広げ、国際的な大事業に発展させたのである。
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